誤爆された獅子の霊巌

▶ 1945年7月4日の高松空襲(Wikipedeaより)

 ・高松空襲は、1945年(昭和20年)7月4日の午前2時56分から午前4時42分にかけて、B-29およそ

  116機により行われた。ここをクリックすると、Wikipedeaにリンクします


▶ B29の飛行ルート

 ・ここをクリックすると、「高松の地図から見た高松空襲」にリンクします

 ・B29が西方寺から反時計方向で屋島の西を抜けるルートで、1時間44分に亘り何度も爆撃した


▶ 屋島(Wikipedeaより)


▶ 空襲前日(7/3)と当日7/4)の6時と18時の天気図

当日の7/4の6時は風が無いが前後は風が強かったよう

7/3(火)6時

7/3(火)18時

7/4(水)6時

7/4(水)18時



▶ 屋島飛行場について

 ・ここをクリックすると、屋島空港に付いての記事「屋島飛行場跡地」があります

 ・滑走路は観光道路の「新川橋」東~「屋島神社」参道との交差点までの赤線部分(国土地理院から)

  だが、途中から少し北に折れているのが特徴です

 ・「屋島神社」参道が屋島山麓にある他の道と比べ、何で幅広なんだと感じた理由が分かりました


▶ OurAirportsで帰来飛行場(屋島飛行場)の情報が載ってます

 ・下の画像をクリックすると、画像のサイト(アメリカのサイトでは?)にリンクします

 ・戦争で急きょ作った飛行場も掲載されてます(帰来飛行場は使用されてないの表示になっている)

 ・ヘリポートなども掲載されてます


▶ 屋島神社の参道(飛行機の秘匿場所となる前と思われる)


▶ 高松空爆での屋島地区の被害

・爆撃は屋島飛行場滑走路(帰来)がターゲット

 であったが、飛行場には被害なし

・誤爆された所は屋島西町の山麓と獅子の霊巌

 (屋島東町)です