戦前の獅子の霊巌

▶ 屋島古文のページの明治36年4月発行の書籍から(読点は追加したもの)

凸字形の頭部即ち寺より西方の突出せる峰を西峰と言ふ。瀬戸内海に枕む無数の島嶼点々鏡面に浮かひ往来の船舶迎ふるか如く送るか如し。宛とし図書を開展するの趣あり。真に天下の大観也雅客の登山するは職としてこれあるに由る。高松市は西南眼下にあり人家稠密鱗の如く車馬絡繹蟻に似たり。断崖を降りる数歩の所に奇巌あり其状獅子に似たり故に之を獅子の霊巌と云う。里俗傳へ云う弘法太子一昼夜を期して唐山の本堂を建立す日將に没せんとす而して工未た竣らす乃ち此嶺に来り日輪を扇き回すと、倭松峯頭に叢生し雅味津々たり。亦人工を假り庭園を築くを要せ?中に茶亭数軒あり遠来の客は宿泊して可也。


▶ 場所は展望台ができた後に発行された絵はがきの説明文から(読点は追加したもの)

展望臺の直下に突出せる奇巌あり。恰も獅子の頭に似たるを以て其稱するあり。弘法大使本堂建立の時に朝より斧を初め成就せざるに日は己ら没すするを祈願をこめ遂に一日にて建立せりと云う


▶ 古い絵はがきと書籍

 ・下の1枚目が古い絵はがきを購入して画像化したものだが、どの岩かの説明が無い

 ・それらしい岩が3つ有るが他の絵はがきから想像するに、右上(スタンプの下)が本命と推察する

 ・下の2枚目が「獅子の霊巌」が書かれた古書籍(著作権切れ)でクリックするとリンクします

獅子の霊巌

▶ 屋島の古写真から

 ・下の画像をクリックすると「屋島の昔の写真」の獅子の霊巌にリンクします

 ・下の画像は上の「獅子の霊巌」のリンク先の画像ですが、著作権対策でわざとボカシてます

 ・リンク先の画面右上の「一覧に戻る」から他の19枚の写真も見られます