年表

 ▶ 屋島の歴史的環境と文化財

西暦 年号       できごと

弥生時代

 

  

  

古墳時代前期

古墳時代中期

古墳時代後期

古墳時代後期?

667 (天智6) 

  

754 天平勝宝6

   

  

810 弘仁元

平安時代中期 

859 貞観元

  

937 承平7 

10世紀初頭

平安時代後期

平安時代末期頃

  

1183 寿永2

1184 寿永3

1185 文治元

  

1223 貞応2

鎌倉時代末期  

1335 建步2

  

1389 康応元 

  

1391 明徳2

室町中期 

1445 文安2

1524 大永4

1565 永禄8

1584 天正12

  

1585 天正13 

  

1601 慶長6

1610 慶長15

1612 慶長17 

  

1618 元和4

  

1633 寛永10

  

1637 寛永14 

  

  

  

1642 寛永19

  

1643 寛永20

  

寛永年間

1647 正保4

1648 慶安元

1653 承応2

  

1667 寛文7

  

  

1684 貞享元

  

1684~1704

貞享・元禄年間

1726 享保11

     

1747 延享元

1753 宝暦3

  

  

1755 宝暦5

1756 宝暦6

 

1805 文化2

 

1808 文化5

1815 文化12

1834 天保5

1835 天保6

1838 天保9

 

1858 安政5

1863 文久3 

 

 

1872 明治5

 

1872 明治5

1874 明治7

 

1875 明治8

1887 明治20 

 

1890 明治23 ?

1893 明治26

1897 明治30 

 

1903  明治36

1908 明治41

1911 明治44

1918 大正71920 大正9

 

 

1922 大正11

 

1923 大正12

 

1925 大正14

1929 昭和4

1931 昭和6

1933 昭和8

1934 昭和9

 

1935 昭和10

1936 昭和11

1939 昭和14

1940 昭和15

1943 昭和18

1945 昭和20

 

 

 

 

1949 昭和24

1950 昭和25

1951 昭和26

1952 昭和27

1953 昭和28

  

1954 昭和29

1955 昭和30

 

   

1957 昭和32

1960 昭和35

1961 昭和36

1963 昭和38

1967 昭和42

1969 昭和44

1970 昭和45

1971 昭和46

 

 

 

1972 昭和47

1973 昭和48

1973~1981

(昭和48~56) 

1975 昭和50

1976 昭和51

 

1982 昭和57

 

 

1983 昭和58

1985 昭和60

1986 昭和61

1998 平成10

2000 平成12

2002 平成14

2004 平成16

 

2005 平成17

2006 平成18

 

2008 平成20

2011 平成23

2022 令和  4 

・屋島山上、南嶺、北嶺において集落が出現する

・「豊玉姫命浦生の地に来たり、盧茲草葺不合尊を生み給ふ、豊玉姫命八尋の参殿を造

 らせ給ひしかば島の名を八尋島と云ふ、後世に至り山容家の形に似たる故を以って

 屋島 と云へり」『香川縣神社誌』ほか

・浜北1号墳が築造される

・屋島長崎鼻古墳が築造される、石棺は阿蘇より運び込まれた。5世紀初頭の古墳と推定

・屋島中央西古墳、同東古墳等の横穴式石室墳が屋島南麓地帯に築かれる

・鵜羽神社境内より製塩土器が出土する

・屋嶋城が築城される。「是の月(11月)、倭國の高安城、讃吉國の山田郡の屋嶋城、

  對馬國の金田城を築く」『日本書紀』

・鑑真、屋島寺を開基し、屋島北嶺の地に堂宇を構えたと伝えられる『屋島寺龍厳勧進

 帳』鑑真の弟子空鉢恵雲律師先師の霊跡に堂宇僧坊を構え初代住持となる『唐招提寺

  千歳録』

・空海、北嶺の堂宇を南嶺の地に遷して真言密教の道場とする『屋島寺龍厳勧進帳』

・屋島寺本尊である木造千手観音坐像がつくられる

・豊前宇佐八幡宮より山城石清水八幡宮への神霊遷座のとき檀の浦に一時滞留した跡を、

 大宮八幡神社とする。後、現在地に移転『香川縣神社誌』

・屋島南麓に大宮八幡神社が創建される『香川縣神社誌』

・屋島北嶺に小堂・千間堂が建てられた

・大宮八幡神社境内に経塚が構築された

・屋島寺境内から平安時代末頃の瓦が出土する、この頃、屋島寺が北嶺から南嶺の現在

 地に移転されたものと推定される

・平氏、屋島東麓に内裏と陣屋を構える『平家物語』等

・讃岐の在庁官人藤太夫資光等14名、源氏方に属する『吾妻鏡』

・屋島檀ノ浦において、源平合戦が行われる『平家物語』等継信最後、扇の的、弓流し、

 錣引

・屋島寺梵鐘が鋳造される『梵鐘銘文』

・屋島寺本堂が建立される『重要文化財屋島寺本堂修理工事報告書』

・屋島南麓の喜岡城主高松頼重、細川定禅と戦い敗れる、頼重「矢嶋ノ麓ニ打寄テ国中

 ノ勢ヲ催」『太平記』

・「讃岐国にもなりぬ やつま(家妻)という島わあり 此しまは人の家のつまむきに似た

 るゆへにいふとなり」『鹿苑院殿厳島諸記』

『西大寺末寺帳』に屋島寺の名「屋島普賢寺」

・世阿弥(1363~1443)の謡曲「屋島」の成立

『兵庫北関入船納帳』に方本の地名がみえる、塩の積出しが顕著(十河氏の直轄地か?)

・屋島寺梵鐘、一時金倉寺(善通寺市)に移される『梵鐘銘文』

『さぬきの道者一円日記』に「かた本ノ里、八嶋寺、にしかたもと」とある

・ 十河存保、長宗我部軍に攻められ十河城を捨て、屋島を経て京に逃亡する。

 『南海通記』

・宇喜多秀家・黒田孝高の四国平定の軍、屋島に上陸し、南麓の喜岡城主高松左馬助頼

 邑を攻撃して敗死させる『南海通記』

・屋島寺高25石を安堵される『生駒一正安堵状』

・生駒一正、屋島寺の堂再建を助力する『生駒一正屋島寺堂建立の覚』

・屋島寺所蔵の『源平屋島檀浦合戦縁起』奥書に慶長17年とある、。同縁起には赤牛渡

 等の『平家物語』等にはないエピソードが記載される

・龍厳上人、屋島寺本堂の解体修理を行う。大部分古材を採用した修理であった 

 『重要文化財屋島寺本堂修理工事報告書』

『讃岐国絵図』に木太西片本、古高松東片本、古高松赤羽崎、古高松浦生と書き込ま

 れている

・生駒高俊が西嶋八兵衛に命じ、高松城下の東から屋島までの海岸地帯を造成する

  『翁嫗夜話』

・「屋島相引に、生駒氏の下知により、堤波を作り塩屋となす」このとき「相引の瀬」

 が埋め立てられる『讃岐国大日記』

・屋島から塩の小物成(付加税)を納める、西片本浜塩51石9斗余、赤場崎塩61石3

 斗余、屋島浦真綿200匁塩5石6斗余。『小物成帳』

・初代高松藩主松平賴重によって、遍路道沿いに佐藤継信の碑が建てられる

  『岡部拙斎撰文』

・古浜(西潟元浜、東潟元浜、赤牛崎浜、屋島浦浜)が築造される『屋島風土記』

・松平賴重、陸続きとなった屋島相引の地に相引川を切り開く『讃岐国大日記』

・松平賴重、屋島南麓を走る志度街道を大路として改修する『英公外記』

・澄禅の『四国遍路日記』によれば、高松城下から屋島までは干潮のときに一里半ばか

 り、満潮のときには三里である、屋島の麓から寺までは十八町

・松平賴重、松島から潟元までの間に堤防を築いて新田を開く『英公外記』

・万治年間 屋島経塚が発掘される。一切経が発見され再び埋納された

 『讃岐国名勝図会』

・西潟元村の村高71石余。東潟元村の村高107石余。屋島村の村高70石余

  『貞享元年高辻帳』

・一般民衆の間に四国遍路が盛行し、屋島寺が第84番札所となる。以降、遍路道が整備

 される『四国辺路道指南』

・屋島寺への遍路道に丁石が整備される、現在、14基が残る、屋島寺から八栗寺に下る

 遍路道には享保11年、14年に建てられた9基の丁石がある『屋島風土記』

・高松藩、檀之浦の新塩浜築造に取りかかる『穆公外記』 

・屋島西岸に塩田を築くことが農民より藩に要望された、五代藩主賴恭の命によって、

 工事が開始される、藩側の工事担当は木村亘。工事の遂行者は梶原景弼

 『松平家歴世年譜』

・屋島西岸に亥浜塩田が開かれる『高松藩記』

・亥浜塩田の南側に子浜塩田が開かれる『屋島風土記』

・梶原景弼、塩竃神社を創祀する『讃岐国名勝図会』

・初代三谷林叟、屋島に移り窯を設ける

 『香川県立ミュージアム解説シート陶工たちの幕末・明治』

・伊能忠敬、屋島沿岸を測量する『海岸測量日記』

・8代高松藩主松平賴儀、屋島南麓に屋島東照宮を建立する『高松藩記』

・亥の浜の北側に潟元新浜塩田が開かれる『屋島風土記』

・屋島東岸に檀之浦浜(柏納屋浜)塩田が開かれる『屋島風土記』

・西潟元村の戸数433戸、人口1,798人、東潟元村の戸数133戸、人口492人

・屋島村の戸数182戸、人口969人『御巡見一条万覚書』

・潟元村(東潟元村、西潟元村)507石余、屋島村の村高116石余『安政5年高辻帳』

・藤川三渓、藩命により屋島長崎鼻に砲台を築く

・江戸時代後期 『東讃郡村免名録』によれば、屋島は「西潟元村、東潟元村、屋島村」

 に分かれていた

・全国区画編成法により屋島は、東潟元村と西潟元村が一つの区に、屋島村が新田村と

 古高松村とともに一つの区にそれぞれ編成された

・亥の浜、子の浜の西側に屋島浜塩田が開かれる

・東潟元村、西潟元村、屋島村は、新田村、古高松村、庵治浜村、庵治陸村とともに山

 田郡の第16大区内の第5小区となる

・冠嶽神社、屋島神社と正式に名のる

・潟元の塩田所有者、十州塩田組合を脱退して採塩事業を強行し、休浜反対運動を展開

 する

・西潟元村・東潟元村・屋島村の三箇村が合併して潟元村となる

・志度街道が県道浜道線となる

・屋島東岸、檀之浦浜の北側に立石浜塩田が開かれる、屋島における最後の塩田

・村雨尼により屋島東側の展望台が談古嶺と名付けられる

・明治36 皇太子殿下(後の大正天皇)、屋島山上を訪れる

・皇太子殿下屋島登山記念の運動場が山上に完成する

・高松・志度間に東讃電気軌道が開通して西潟元駅と屋島駅が設けられる

・潟元・木太塩田で労働争議が起き、高松市での米騒動の引き金となる

・屋島が香川県立国定公園に指定される

・潟元村が、屋島村に改称される

・県道浜道線が国道22号に格上げされる

・屋島山上北嶺を巡る回遊路が完成する

・皇太子殿下(後の昭和天皇)、屋島山上を訪れる

・良子女王殿下(香淳皇后)、屋島山上を訪れる、屋島北端を遊鶴亭と名付けられる

・獅子之霊巌、談古嶺とともに屋島の三大展望台

・高松・志度間に鉄道が開通して、屋島駅が設けられる

・佐藤継信の墓(牟礼町牟礼)、射落畠を継信三十世の子孫佐藤信古が整備する

・屋島村が屋島町となる

・屋島が瀬戸内海国立公園に指定される

・屋島が史跡及び天然記念物に指定される

・屋島山麓を回る一周道路が開通する

・屋島登山道および山上南嶺を巡る回遊道路の舗装工事が完成する

・国道22号高松・牟礼間のコンクリート舗装が完了し、別名「観光道路」と呼ばれる

・屋島町が高松市に編入される

・戦争の激化に伴い、屋島ケーブルが閉鎖される

・4月頃、屋島に秘匿飛行場が設置された

・高松空襲による罹災者のほか、海外引き揚げ者、復員者等により屋島地区の人口が一

 時的に急増する

・屋島沖で小豆島定期航路女神丸が米戦闘機から機銃掃射を受け、多くの死傷者を出す

 女神丸事件

・英国の詩人エドマンド・ブランデン「屋島を訪ねて」を作る

・戦争によって閉鎖されていた屋島ケーブルが営業運転を再開する

・屋島塩業協同組合が設立される

・国道22号が国道11号に名称変更される

・屋島西町に屋島塩業協同組合による真空式製塩工場が完成する

・屋島陸上競技場が完成し、第8回国民体育大会開会式が行われる

・屋島山上へ水道送水が行われ、山上地区の水不足が解消する

・屋島寺所蔵の木造千手観音坐像が国の重要文化財に指定される

・屋島寺本堂が国の重要文化財に指定される

・屋島塩業協同組合の潟元新浜・亥浜・子浜・屋島浜の各塩田が流下式塩田への転換を

 終える

・屋島塩業協同組合の製塩業が採かん過程のみに縮小される

・屋島ドライブウェイが開通する

・屋島東町に瀬戸内海栽培漁業センター屋島事業場が完成する

・屋島寺所蔵の梵鐘が国の重要文化財に指定される

・屋島山上水族館が開館する

・香川県水産試験場が屋島東町に移る

・塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法が公布され、屋島東西沿岸の塩田は

 全て廃止される

・屋島東町に香川県水産試験場が完成する

・香川県中央都市計画区域が定められ、屋島地区でも市街化区域および市街化調整区域

 の線引きが行われる

・屋島に過去最高の246万人もの観光客が訪れ、観光の黄金期を迎える

・屋島中町の屋島神社社殿が全焼する

・屋島西町の廃止塩田跡地に土地区画整理事業が実施される

・このころから屋島山麓部の市街化と人口増加が進む

・屋島東町に屋島少年自然の家が開館する

・香川県が史跡天然記念物屋島保存管理計画を策定する

・屋島南麓に財団法人四国民家博物館が開館する

・屋島東町に屋島東小学校が開校する

・屋島西町に東部下水処理場が完成する

・屋島西町に都市計画道路高松海岸線が開通する

・屋島西町に屋島西小学校が開校する

・源平フェスティバル(源平合戦八〇〇年祭)が開催される

・屋島西町に都市計画道路屋島東山崎線が開通する

・屋島南嶺において、民間研究者が屋嶋城跡の石垣を確認する

・屋島北嶺において、千間堂跡の仏堂跡を確認する

・屋島南嶺において、高松市教育委員会が屋嶋城跡の城門遺構を確認する

・屋島ケーブルが休止される

・高松市が史跡天然記念物屋島保存管理計画を改訂する

・屋島ケーブルが廃止される

・新屋島水族館がリニューアルオープンする

・屋島山上シャトルバスの運行を開始する

・JR屋島駅に観光案内スペースを設置する

・屋島会議が発足する

・屋島山上交流拠点など、屋島観光復活が期待される