▶ 香川大学経済学部より
・内容は下記です
昭和26年(1951)12月26日、真空式製塩工場建設を契機とし、中小企業等協同組合法に基づいた屋島塩業協同組合が発足した。屋島塩業協同組合は、屋島浜・子の浜・亥の浜・潟元新浜・生簀浜を管轄し、加入組合員数は36名、塩田面積は100町弱で、東讃塩業組合潟元出張所に仮事務所を設置したのである。
なお翌年4月には高松塩業協同組合が発足し、東讃塩業協同組合が解散する。また、昭和27年3月に、四重効用真空蒸発製塩設備の起工が行なわれ、翌28年1月16日に完成し、煎熬が開始された。
この煎熬工場が廃止となるのは、昭和35年(1960)3月10日のことで、坂出市にある日本化学塩業株式会社が引き継くこととなったのである。
屋島塩業協同組合は、昭和29年(1953)3月29日に塩業組合法によって屋島塩業組合へと改組している。
その後、イオン交換膜法の実施にともない、昭和46年(1971)12月15日に塩田での採鹹を廃止し、翌年3月に屋島塩業組合は解散することになったのである。
▶ 昔の写真と絵画
・左の写真は西側の遊歩道の北の端(介護施設)から、右の絵は工場の南東からのアングル
・工場の西側が日本エタニットパイル高松工場となる(現在のアルファシティー屋島)
▶ 入浜から流下式
・左は奥の島が男木島のよう、右は正面が屋島の北の稜線のよう、屋島西町の塩田からの風景?
▶ 日本エタニットパイル高松工場があった場所
・弓絃葉と天理教と、その北にあるサンヒルズのアパートかある場所にあった
・高い煙突はサンヒルズの駐車場の東の道路側にあった(1962年の空中写真では確認できる)
・下の写真が変遷状況で下に撮影年を書いてますが、1973年には浜北橋ができてます
1962年(昭和37)撮影
1973年(昭和48)撮影
1975(昭和50)年撮影
浜北港の360度動画(画面ドラッグで方向変更可)
▶ その他