明治33年の記事

 ・明治30年には皇族が屋島を訪れ「談古嶺」と命名、屋島は早くから観光地として開けていたよう

 ・屋島は訪れなくても源平の合戦で全国民が知っていた状況だったので、人気があった

 ・下の記事では獅子の霊巌の「巌頭ニ立チテ」とあり、昔は自由に立ち入りができたと推察